雨男、雨女を追求するのはやめようぜ

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photo by Gabriele Diwald | Flickr

先日、旅行にいったときのこと

6月の下旬に湯河原のほうに自分を含め、おっさんたち5人で旅行に行ってきた。
当日は現地集合で湯河原駅前の定食屋で昼ごはんをたべた。

ちょうどその日は(というか天気予報によるとこの旅行期間中)雨模様だった。
食事が終わりのんびりしているときに、メンバーの一人が急にこんなことを言い出した。

「だれかこの中に雨男いる?」

皆、黙る。
そして彼はさらに続ける。

「俺、旅行先で雨に降られたこと、人生で一度もないんだよね」

皆、この話題に乗ってこない。ましてや「自分が雨男です」と名乗り出る者はいない。
ちなみにこの彼は30代なので、それなりの回数、旅行には行っているのであろう。
しかし自分には「晴男」の自負があるのか、一度たりとも雨に降られたことがない、と主張していた。

なぜこの発言に対して皆黙ったのか

「雨男(女)」であることを喜ばしく思っている一部の人間を除いて、「雨男(女)」のレッテルを貼られることは一般的には不名誉なことである、と考えるのが妥当である。

まず、筆者の個人的な統計によると、この「雨男(女)探し」は高確率で旅行先で雨が降ったときに行われる。
なぜならおおよその場合、旅行先でのアクティビティは晴れた屋外で行われることを想定しているため、雨が降ると旅行先での行動の選択肢は狭められるからだ。
旅行中は晴れて欲しいと思う人が多数のはずである。
そこで雨が降ったことを誰かの人為的なミスにすり替えてそれを非難することで晴れなかったことへのやり切れない怒りを昇華させているのだと考えられる。

しかし、「雨男(女)」と言われた張本人からしたらたまったものではない。
これも筆者の個人的な統計だが、

一度「雨男(女)」認定された者は生涯その肩書を背負って生きていかなくてはいけない

つまり、次の旅行でもしまた雨が降ったら、確実に「お前のせいだ」と言われることになるわけだ。
これは過去に「雨男(女)」とされてしまった読者の皆様にも経験があることだと思われる。

一度や二度言われるくらいなら笑って流せる戯れの一つだろう。
しかし生涯背負っていくとなったらこれから言われる何百回何千回の「お前のせいだ」を聞き流せるだろうか?

これは「ドラえもん」に登場する野比のび太の父・のび助も頭を悩ませており、自分が雨男のせいで大好きなゴルフにもいけない、と塞ぎ込んでいるシーンがある(コミックス34巻参照)。

旅行先で雨が降ることを不幸なことだとしたら、その不幸の原因を作った疫病神になりたい者などいるだろうか?
一生疫病神であり続けられる人がどれだけいるだろうか?

だから「雨男(女)」探しに付き合うやつは誰もいない。
名乗りでるときは相応の覚悟が必要だからだ。

そもそもその話題、必要ないだろう?

この記事のタイトルの通りである。
はっきりいってこんな話題を旅行先のトークテーマで挙げることはナンセンス。時間の無駄。不毛だ。

もちろん、言い出した本人もわかってはいるだろう。
人間の行動が天候を左右するなんて、どれだけバタフライエフェクトが都合よく働いた結果だろうか。
仮に、「雨男(女)」という者が本当に存在するとして、それが一緒に行動する旅行のメンバーにいるという確証はどこにあるのか。
となりの席に座っているおっさんが雨男なのかも知れないし、その辺を歩いている兄ちゃんなのかも知れない。
雨はその地域に存在する全ての人に等しくその影響を与えているのに、自分のすぐ目の前にいる友人がその犯人だとなぜ言えるのか?

悲劇なのは犯人とされた者の末路だ。
そうなった者がどうなるかは先述したとおり。
安心して旅行をすることがどんどん減っていく可能性が高まる。
だが、このトークテーマはそうやって不幸を被る人を増やすだけであり、特をする者など誰もいない。
発言者は犯人とされた者に対して生涯のフォローはできるのか?責任を負うのか?
そんなことはあり得ない。ただの遊びだから。

一時はこの話題で軽く盛り上がるかも知れないが、そんな軽い盛り上がりのために、誰かの一生を犠牲にして良いものだろうか?

もっと誰もが楽しめる話題を提供すべきだと思う。
この「雨男(女)探し」が、旅行先で雨が降った時になかば話さなくてはいけない話題なのではないか?とされてしまっていることに筆者はいかんともしがたい憤りを感じたのであった。


まあ、こんな大真面目に怒りをぶつけたところで、話題を振ってくる者からしたらただの遊びなわけで、本気で言ったら場が白けてそれこそ楽しい旅行どころではない状況になるかも知れない。
だから自分は被害者にならないように適当に相手をすればいいだろう。
「俺は晴男だよ」と一言言えばいいし、「この中にはいないんじゃないかな、あそこにいる誰かだよ」とか言っておけば十分だ。
証拠など、どこにも無いのだから。

2015ゴールデンウィーク

今年のゴールデンウィークは4/29から開始。
4/30、5/1会社を休み、5/2-6、そして7と8も会社を休んで12連休!

これだけあれば海外いけるじゃんという周りの羨望の声を華麗に聞き流し、
この12日間の行動範囲は見事に普段の休日のそれと一致。

でも実家には帰った。
といっても埼玉県。
普段は都内に住んでいるので電車で2時間圏内。

ただそれなりに外に出たとは思う。
連休中で展示もいろいろあったから、これまで行きたいと思ってストックしていたいろいろな展示を見に行った。

今日はその中のひとつを紹介。

藤本壮介展 未来の未来
http://www.toto.co.jp/gallerma/ex150417/


学生のころ彼の建築に感化されたものは多かったかと思う。
世界のFUJIMOTOの頭の中はどうなっているのかをおびただしい数の模型で表現。
今更だが、彼のもつビジョンの壮大さにため息が出、自分の発想の貧困さを呪った。


また機会があれば他の展示も紹介したい。
他に行ったのは
マグリット
スター・ウォーズ
・シンプルなかたち展
・SPECIMENS OF TIME -時間の標本- LING MENG
・大 関ヶ原
鳥獣戯画

リストアップすると結構行ってるな。
それなりに充実していたかもしれない。

ではまた!